SOUTH SEAS VOICE WORKSHOP

オックンチュラン・カンプチア 9

2月24日(水)
 朝8時前、外の道がうるさくてたまらないので起きてしまう。近くのミニハウスというゲストハウスにアンコール・ワットで会ったフランス人のセバスチャンがいるというので、探しに行くと、一緒にわいわいやった日本人にも再会。なかなか広いゲストハウスであるが、個室が主のところ。ガンジャ(大麻)の匂いがする。
 一緒に外へ出て、朝食。いつものキャピトル・レストラン。昨日夜出会ったオーストラリアのブライアン氏とも9時にそこで約束していた。シンガポールからのツーリストがいるということだった。久しぶりに中国語での会話。チャイニーズというと「同胞」に近い気がする。かなりタフな雰囲気は持っている彼だが、結構軟弱。けれども、ひとり旅のシンガポール人なんてあまりみない。それもカンボジアでなんて。
 10時前、日本人たちとともにバンコク銀行へ行き、トラベラーズ・チャック100ドルを両替。2ドルのコミッションがとられた。これがやはり普通らしい。コミッションがとられないのは現ナマ紙幣。持ち歩くならば少々不安だが、これがいちばんよいみたいだ。
 10時半に昨日の英語塾の授業が終わるというので、その後、彼ら学生達とプノンペン大学で待ち合わせた。4人の学生達が私を歓迎してくれた。ココナッツを割った生ジュース(というかそのままの汁)を買ってきてくれた。まるまるひとつ飲むと結構の量だが、暑い中、喉が潤う。英語で色々話す。プノンペン大学はカンボジアで最も優秀な国立大学。とはいっても、単なるコンクリートの建物が建っているだけのボロ校舎である。学生たちも少ないが、休みなのだろうか。彼らは日本に留学したいというが、文部省の奨学金制度はまだないという。彼らのように勉強の意欲に満ちあふれている学生たちが、スムーズに勉強できる環境にないというのはもったいないことである。将来、彼らに道が開けることを祈るばかりだ。
 さて、色々会話ははずむ。そして、例の英語塾で私が教えるということになった。かつてもこのような経験はあるが、いつもは向こうから話しを持ちかけてくる。けれど、大胆にも今回は自分から話しを持ちかけてしまった。カンボジアで英語の先生というのも面白い。
 早速、英語教室へ。12時半からのクラスでテキストブックⅠの発音練習をする。この英語教室で外国人が教えるのは初めてのことらしく、受講生達も最初はきょとんとしていた。今日は英語の勉強意欲の高い、いつものバイクのおっちゃんにもテキストを買ってあげ、一緒にクラスに出させた。若い受講生達に混じって一生懸命勉強している。
 やっぱり声を出して喋らなくては言葉はできるようにならない。「はい、私の後について言って下さい」という感じでいく。教職の経験はなく、全くの自己流。だから適当。けれどもとりあえずは授業らしくなったかな。生徒達もとても熱心。言葉の分からない国で、こうちゃんと反応があるのはとても快感である。私が教えた後は、いつもの彼に交代。なかなか内容の濃い(?)授業であった(と思う)。
 授業が終わり、いつもの通り受講料集め。この授業を担当する彼は、律儀にも私に「授業料」といって200リエルくれようとする。そんなお金なんか貰っては不法労働になってしまうよ(!)。気持ちだけ、ありがとう。
 塾が終わった後は、ここで先生をしているプノンペン大学の学生のひとりが郵便局に連れていってくれた。彼は自転車通学だが、その自転車に二人乗りして。郵便局にはちょうどインドネシアからのUNTAC兵士が来ていたので、思わず懐かしく、インドネシア語で挨拶。遠くからご苦労さまです。
 その後は、映画館に行き、カンボジア映画を見た。ビデオプロジェクターによる映写だが、つくりは結構映画らしい。内容はよく分からなかったが、よく人が死んだりする。映画館の看板も何かグロテスクな絵が描かれているが、いったいなんなんだろう…。ホラー映画だったのだろうか。
 宿に戻り、シェエムリアップで書いていたゼミの文集への原稿を完成させ、ファックスで送ることにする。街の電話&ファックス屋で1枚6ドル。2枚送ったので12ドル。カンボジアではものすごく大金である。本当に送れたかどうかどうも不安で、何度も念を押したが、後で調べてみたら、やはり先方に届いていなかった。まったくひどいもので。
 レストランに戻り、いつもの通り情報交換。明日は汽車で南の方へ行こうと思うが、大丈夫だろうか。汽車はよく盗賊に狙われ、乗っていた外国人が撃たれたという話しもある。やめにしようか…。