2月25日(木)
朝5時頃、目を覚ます。カンボジアの南の方へ行こうかどうかぎりぎりまで迷っていたが、決行することにした。顔を洗い、準備をして駅に向かう。朝の空気は結構冷たい。まだ薄暗いが、シアヌーク国王の若い頃の肖像画が掲げられている駅の前には、すでに大勢の人々が集まっていた。汽車に乗る人の他、屋台も沢山出ていて、昼間の閑散とした様相とは全く異なっていた。
プノンペンから南に下って西の方に続く路線を行く、その終点コンポンソムまでの切符を買う。1300リエル。かなりの距離のはずだが安い。払った気がしなかった。列車は2つ来ており、ひとつは北上してバッタンバンまで行くもので、これには客車がついていた。アンコールワットに行くツーリストはこれに乗り、バッタンバンで自動車に乗り換える。一方、私の乗る南下便は貨車のみ。野菜や果物、鶏などを運ぶ行商人たちと一緒で、ごちゃごちゃな状態。屋根の上にも多くの人が乗り、色々な物が積み上げられていた。 6時発と聞いたが、実際に動きはじめたのは7時7分であった。ゆっくりと動き始めるのかと思ったら、結構急だった。貨車の中は騒がしいが、皆楽しそうに会話している。10時10分にタケオに着くまで、まわりのおばちゃんが次々と話しかけてくる。カンボジア語は分からないが、この前買った会話張で一生懸命話した。発音が難しくてなかなか通じない。「サアーッ」とみんなは言う。顔を指さして。どういうことなのかよく分からなかった。「白い」ということなのかな…。となりの婆さんの白髪を指して、「サアーッ」と聞くが、ちょっと違うようだった。あとで調べてみたら、「暑い」という意味だった。
長く電車に乗っていると、トイレに行きたくなってくる。ちょっとだけ長く停車しそうなところで貨車を降り、遠く離れて用を足す。まわりは広い大地なので隠れるところも何もないので困る。女性もまわりを衣服でうまくかくして用を足していた。ここらへんがベトナムとは違う。ベトナム人だと、女性でもおしりまるだしで平気でする。中国大陸などもそうだが、やはりこれも文化の違いか。電車が再び走りだす。そばに座っている白髪の婆さんは、先ほど用を足さなかったらしく、貨車の中でいきなり始め、まわりに広がってくる。まいったなあ、もう。みんな笑っている。
汽車は結構早く進み、11時10分、タニーに着く。チャイニーズのおじさんが乗ってきた。今までカンボジア語一色で頭がふらふらの私に、友がやってきたという感じである。言葉が通じるということはいい。しばらく話しをする。「紅高綿(クメールルージュ)」の恐ろしさというのが話題となった。普段陽気なカンボジア人の下手な英語だとよく分からない部分もあるが、きちんとした言葉(とはいってもおじさんの北京語も相当なまっていたが)で聞くとその怖さの実感がわく。次の駅で降りる前、おじさんに「いつカンボジアは平和になるんでしょう?」と助けを求めるように問われたのが印象に残っている。世界中どこにでもいるチャイニーズ。不安定な国のこんなとてつもない田舎に住んでいるのだから本当に逞しい。私としては「頑張ってくれ」としか言えない。
修行僧になるらしい息子を連れたおじさんが、なにやらこちらを見つめてにこにこしている。私がまわりと一生懸命会話しているのをずっと見ていたようだ。なにやら話しかけたそうだったが、それはできず、紙を出して手紙を書き出した。そしてそれを私にくれた。カンボジア文字で書かれたその手紙の内容はまったく分からない。途中20分ほど停車する。駅らしいプラットホームなど何もないが、ここで沢山の荷物を降ろす。おじさんと修行僧の息子もここで降りた。再び列車が出発するまで、ふたり揃って立ち、こちらを見送ってくれた。後で日本に帰ってからその手紙の内容を、カンボジア語のできる知人に聞いてみたら、「あなたと会えて光栄です。あなたを慕います。」といった内容であった。カンボジアのド田舎のそれも野菜や豚と一緒の貨車の中で、ボロいTシャツ姿の日本人と遭うというのもなかなかないことであろうが、何か特別な気持ちを与えることができたのならば、私としても光栄である。あのおじさんと修行僧の息子は今頃どこで何をしているのだろうか。
列車は更にゆっくりと進む。終点コンポンソムに近づいた頃、陽はすでに傾いていた。出発の頃は凄く賑わっていたが、この頃になると、貨車の中もかなり空いてきた。開きっぱなしの扉のところに立ち、ぶらさがって風に当たると、とても気持ちよかった。民家も見えてくる。子供達がこっちの方を見ている。
夕方6時頃の到着。とても長く暑い旅であったが、終点に辿り着いた気分はなんともいえない達成感があった。積んであった野菜や果物の他、鶏や豚も降ろされる。
まずは宿探し。バイクタクシーで街へ行く。なかなか小綺麗な街風景に驚いた。ここコンポンソムは別名シアヌーク・ヒルという。つまり「国王シアヌークの丘」で、海岸がとても美しいリゾート地である。そういうわけで、どこも値段が高い。チャイニーズもかなりいるらしく、彼らの開いているホテルは最低でも1泊30ドル。これはきつい。色々と探しまわるうちに辺りが暗くなってきた。まわりのチャイニーズに色々聞いていると、まだ開店前の作りかけホテルがあった。そこのおばちゃんに交渉。「プノンペンから電車に乗って11時間。1300リエルでやってきたというのに、ここで1泊30ドルというのはないでしょう。負けて下さいよ。」と。まあ、開店前で何も整っていないということで、9ドルでどうか。ということになった。「それじゃ、そこで3泊するから1泊7ドルでどうっすか?同胞よ!」と。おばちゃんは北京語はできず広東語を話す。私もカタコトの広東語で無理矢理喋る。最後はチャイニーズの友情(私はチャイニーズか?)ということで、3泊21ドルとなった。「そのかわりエアコンは使わないでよ」と言われた。新しい部屋で気分もいい。ただし、扇風機も何もなく暑い。
夜はすぐそこの屋台通りまで歩いていって食事。美味しそうな焼きそばを作っている夫婦がいて、そこで食べる。とても美味しい。色々と話をした。そこのおじさんが「明日の昼、我が家に来なさい。お昼ごはんをご馳走しよう」と言って下さった。楽しみ。