SOUTH SEAS VOICE WORKSHOP

サラマッポ・ダバオ 2

1999年3月22日(月)

 ボーラック航空801便、12時10分発。毎週月曜日と金曜日の2便で、料金は262ドル。これを値切って245ドルで購入した。当日は旅行会社の人に迎えに来てもらったが、彼等が時間を間違えたおかげで、空港に着いたのは12時。急いでチェックインし、イミグレーションへ。まずはここで「通過儀礼」。
「ビジネスだろう?何度も行き来しているとビザが必要なんだよねえ…」
「はあ?私、旅行者なんすけど。しかもマナドは初めて(本当は2回目だが)ですよ。」
「イミグレーションには、なんかないのかねえ?」
「はあ?何か必要なんですかあ?」
「いやあ、まかせるよ」
「はあ?おまかせって、何が必要か言ってもらわなければ、こちらもしようがないんですけど…」
悪名高きマナドの入管、やってくれます。もちろん後ろめたいことなど何もないので、賄賂を払う必要もない。とぼけつつ、イミグレーションを突破。やれやれ。1週間後にまたマナドに戻ってきた時、いちゃもんつけられたら面倒だが、まあ、それはまたその時だ。
 待合い室にはフィリピン人乗客が30名ほど待っていた。欧米人も少し。12時10分を過ぎても搭乗のアナウンスはない。が、遅れることなどインドネシアでは普通。まして、ここはマナドだ。気軽に待とう。
 1時過ぎに搭乗アナウンスがあり、機内へ。ボーイング737型機。中型で安定している機体なので好きだ。1時間ほどの飛行でダバオに到着。ゲートに入ったところがすぐ入管になっていて便利。マナドと比べ、とてもきれいだし、エアコンもよく効いている。それにイミグレーションでお金を要求されることなどもなく、実にスムーズに入国。フィリピンの空港の入管はかつて(10年くらい前か)賄賂が横行し、評判が悪かったが、今はとても良くなっている。これはマルコス政権崩壊以降、改善したらしい。
 空港の外に出る。バスはなさそうなので、タクシーに乗って市街へ。ホテルは特に決めていなかったが、名前だけはインターネットで調べておいたので、適当に安そうな(名前から判断。根拠はない)、マグサイサイ通りにある「フォーチュン・イン」というところを目指す。ダバオではいわゆるチャイナタウンと言われる地域らしく、ここのオーナーもチャイニーズ。結構古びた安宿だ。2階にフロントがあり、上がっていくと、怖そうな顔をしたおっちゃんと、元気のいいお姉さんがいた。値段を聞くと、エアコン付きの部屋で350ペソ。
「全部同じ値段なんですか?」と私が聞くと、
怖い顔のおっちゃんは、なんと答えていいか分からないようで、ただしかめっ面。
「いや、同じならいいんですよ。他のタイプの部屋があるのかなあと思って…」
「あ、ああそうかい、はははは…」
値切るという雰囲気ではなかったので、その値段でオーケーとした。
 実はそう怖いおっちゃんではなかった。が、名前を聞かなかったので、「怖い顔のおっちゃん」と呼ぶことにする。元気のいいお姉さんの名はギンギン。名前からして元気そうだ。
 部屋は狭くシングルベッド。シャワールームもきれいとはいえないが、まあ、とりあえず落ち着けそうだ。
 荷物を部屋に置き、早速街を散策しに出かける。近くにガイサノ・モールというショッピングセンターがあり、まずはそこに行き、街の地図をゲット。結構立派なモールで、平日の昼間だというのに客も多い。テープ屋もあったので、旅のお伴として、2本カセットを買う。我がアイドルのレイシェル・アレハンドゥロとジョリーナ。甘い声のスローバラードがいい。お店の人にライヴハウスはないかと聞くと、親切に色々と教えてくれた。これだ!という情報はないが、とりあえず後で行ってみよう。
 お店の人はタクシーに乗りなさいと言っていたが、私はその場所の近くに行きそうなジープニー(乗合バス)に乗ってそこを目指す。
 途中雨が降ってきた。実は乗ったジープニーがどこに行くのかよく分からなかったので、適当に商店が並んだ通りで降りた。街じゅうが薄暗く汚い感じがするが、これでもマニラよりはずっときれいである。マニラの場合は、これに路上生活者も加えてゴチャゴチャ感を増している。
 ガイサノ・モールのテープ屋で教えてもらったライヴハウスは、アポ・ヴューホテルの中にあった。「今日の演奏…」と、ポスターが貼ってあったが、どうもジャズのコピー演奏らしい。やっぱり、その土地のアーティストならではのオリジナルを聴きたい。
 街をまわっているうちに、あっという間に夜になってしまった。今日はマナドで朝早起きをしたので、早くから眠くなってきた。9時半にはホテルに戻り、ベッドにバッタン。ボロい部屋だが、エアコンがあると快適。そのまま眠りの世界へ。