SOUTH SEAS VOICE WORKSHOP

サラマッポ・ダバオ 4

1999年3月24日(水曜日)

 今日はギンギンの妹、シャロンが街を案内してくれるというので、早起きした。とはいっても9時すぎ。街はとっくの昔に動き出している時間である。
 顔を洗おうとしたら、断水していた。水道工事をどこかでしているらしい。昨晩、眠たかったけれど、シャワーを浴びておいてよかった。ダバオの街ではトイレに入って水が出ないこともしばしばあった。これは単に壊れていたからだと思うが、焦って水を探し求めることになる。
 仕方ないので顔は洗わず、部屋の外に出ると、フロントでギンギンが新聞を読んでいた。
「ごめんね。シャロンは別の用事ができて来れなくなっちゃた。そのかわりドドンが10時に来るわよ。」
 ドドンは、昨日一緒にパーティーへ行ったうちのひとり。もうすぐ10時だが、彼を待ちながら朝食をとることにした。
「上の階がカンティンになっているわよ。」とギンギン。
上がってみると、確かにカンティンであった。がらんとしたところに、おばさんがひとり座っている。ちゃんと食事が出てくるのかなあ…と、席について待っていると、メニューが出てきた。タガログ語なので良く分からないメニューがあったが、手っ取り早いフライド・ライスにした。
 小さい皿に大きく盛ったフライド・ライスがやってきた。刻んだチャーシューがのっていて広東風。となりには、ふたりの女性と子供、そして男性が座ってきた。ふたりは学校の先生、男性は水道関係の仕事で来ているエンジニアだそうだ。その男性は神奈川の方で仕事をしていたことがあるという。今日、マニラから着いたばかりで、数日滞在するらしい。滞在中に遊びに行こうと誘われたが、派手そうなおじさんだったので、とりあえず空返事しておいた。
 10時半過ぎ、2階のフロント前に戻るが、ドドンはまだ来ない。本当に来るのだろうか…。まあ、急いだところで別に他に何があるわけでもない。気軽に新聞でも読みながら待つことにした。すると11時過ぎにやっとドドン登場。雨のため、家を出るのが遅れたのだそうだ。今日、オーディションに出るためのバンドの練習があるので、一緒に行こうという。
 ジープニーに乗って練習スタジオへ向かう。KKB(ワリカン)にしようとドドンは言うが、わざわざ迎えに来てくれたわけだし、学生でお金もないはず。「ここは気にするな…」と私が奢る(とはいっても2.5ペソ)。スタジオにはメンバーが集まっていた。本当は朝10時集合だったそうだが、オーナーが機材の調整をしているところで、まだ始まっていなかった。というより、ドドンはドラマーなので、彼がいなければそももそも始まらない…。
 曲はアメリカのヒットナンバーのカバー中心。オリジナル曲もある。ヴォーカルのグレイスの作曲だ。バンドのテクニックはいまいち、というかかなり素人だが、彼女の声はまあまあだ。ギターとベースのチューニングが悪いので、私も中に入って直してあげる。キーボードもただ叩いているだけで、これでオディーションは大丈夫なのだろうか。ひとりノリノリのドドンのドラムは結構安定した叩きだが、オカズ(フィル・イン)がもうちょっと欲しいところ。いずれにせよ、音楽で大事なのは、こうやってみんな集まって練習をし、楽しむこと。オーディションの結果は分からないけれども、頑張れ!
 さて、2時間のスタジオ貸切。1時間80ペソをみんなでKKB。みな貰っている小遣いは少なく、練習の後にどこか一緒に食事に行くなんてことはしない。しばらくスタジオ前でたむろして、帰る。同じジープニーに乗って、ひとり、ひとり別れて行く。
 ドドンは私と共に街歩きだ。とりあえず昼食に行くことにしよう。ドドンは金がないからいいよ、というが「心配するな!」と私。マンダリン・レストランという中華料理、というかファスト・フード店で麺を食べる。ドドンは鶏肉ののった広東風ご飯。味はまあまあ。
 食事を終え、どこへ行こうか…。再び小雨が降り始めているが、とりあえず本屋を目指す。ダバオの街で本屋を見ることはあまりなかったが、ドドンの通っているミンダナオ大学が近くにあり、そのそばに本屋が固まっていた。どこの本屋もそうだが、英語の本が多い。タガログ語の本は数が少ない。学校の教科書だけはタガログ語のものがいっぱいあった。中に音楽の本で、世界の音楽からフィリピンの音楽まで紹介したものがあった。タガログ語で内容は詳しく分からないが、面白い記述があった。「ガムラン」である。ガムランはインドネシアの青銅製打楽器を中心としたオーケストラであるが、フィリピンにもそのようなものがある。私もある程度は知っていたが、詳しくはなかった。インドネシアのガムランを例に出しながら、フィリピンのものを紹介しているが、どうもフィリピンのガムランは、イスラムの音楽ということらしい。ミンダナオ島に居住するイスラム系住民の間で用いられているらしく、いくつかの地域が記されていた。ダバオはその中になく、少し離れたイスラム居住地域にあるらしい。行ってみたい気もするが、「危険だ」とドドンはいう。
 さて、本屋を出て、近くのユニヴァーシティー・モールへ行く。モールとはいっても小規模な商店街だが。そこにインターネット・カフェ「ウェブ・ハウス」があり、そこでメールをチェック。1時間35ペソと比較的安い。日本のニフティ・サーヴにつなぐのだが、とても遅い。仕方がないことか…。もちろん日本語は使えないので、英語あるいはローマ字でメール交換。ドドン自身もインターネットに興味はあるが、いじったことがないというので、色々教えた。mail.yahoo.comでドドンもメールアドレスを取得。アドレスはrollylex@yahoo.com。けれども、彼が次にメールを開けるのはいつになるだろうか…。タバコをやめて、インターネットをすれば、と勧める。
 インターネットをやっていると時間があっという間に過ぎる。そして、辺りも暗くなってきた。6時半からホテル・マンダヤでドドンのバンドのヴォーカル、グレースが歌うというので、行くことにするが、その前に夕食。ホテルで食べると高いので、道端の焼き鳥屋台でのご馳走。串刺しのレバーと鶏肉を、醤油とカラマンシ(ヒラミレモン)を混ぜたタレにつけて食べる。ごはんと一緒に。フォークやスプーンはなく、手で食べる。結構いける。
 6時40分。グレースのショーはすでに始まっている…と足早にホテルを目指す。と、「タカシ!」と呼ぶ声。ドドンのバンド・メンバー君である。ちょうど彼もグレースが歌うのを見にきたそうだ。すると、別のメンバーもやって来た。あたかも約束していたかのように、ホテルでスタンバイしているグレースと会った。が、グレースはホテルのマネージャーと何やら話している。どうも今日はピアニストが来ないらしく、キャンセルらしい。残念。
 これからどうしようか…。と、ローカル・バンドが演奏しているライヴ・ハウスがあるというので、行くことにする。学生たちは金がない…。しかし「私に任せなさい!」というと、みんな大喜びではしゃぐ。ライヴ・ハウスまではそれほど離れていないので、歩いて行く。と、途中、「POLYFUSION」という看板があった。ダバオ唯一のスタジオだそうだ。ちょっと寄ってみることにした。すでに8時過ぎだったが、レコーディングをしているらしく、開いていた。そこで社長のオルトニオ氏に出会った。ダバオ音楽事情のインタビュー開始。
 現在ここではスタジオ業と共に、ワーナー・レコードのディストリビューションもしているとこのこと。オルトニオ氏としては、ダバオのローカル・アーティストを育て、全国に送り出して行きたい考えだ。POLYFUSIONレーベルからは昨年初めてアルバムをリリースし、現在まで6種あるとのこと。売れ行きの方はまだチェックしていないので分からないらしいが、今年はダバオでもソングライター・コンテストを行い、新しいスターを生み出したい、と意欲的であった。現在まで集まったデモ・テープは数百にものぼる。ダバオの音楽も結構盛んであることが窺われる。
 バンド・メンバーたちは、私がオルトニオ氏と話している間も、スタジオの前でギター片手に歌を歌っている。「みんな、コンテストに向けて頑張りなさい!」と私。しかし、反応が今いち鈍いメンバー。
 10時頃までそこで音楽の話をし、POLYFUSIONを後にする。そして、ライヴハウスへ。「KAZADA」というところ。カップルで入るとチャージ無しだという。我らは男性3人、女性2人。学生カップルを無理やり誕生させタダで入場成功!そして、私はひとり100ペソを払い入場。
 中は色々なスタンドの並んだフード・コートのような感じで、奥の方にステージがある。3月末まで「Baby on Board」というバンドが演奏している。ローカル・バンドではあるが、歌はすべて英語曲のカバー。アース・ウィンド・アンド・ファイアーが人気のようだ。みんなノリノリで、ステージ前で踊っている。学生どもも我慢できず前へ。おじさんである私はひとり、彼らのカバンを見る係となる。
 延々1時過ぎまで盛り上がり、ゴー・ホーム。みんな結構遠くに住んでいるので、ジープニーがなくなってしまうのだ。みんなでタクシーに乗る。3人は途中で降り、バイバイ。ドドンは私をホテルまで送ってくれた。一緒にジープニーを待とう、と言ったが、夜道をひとりで帰るのは危険だ、とあくまでも私を先にホテルまで送るのだという。ありがとう。けれども、ドドンは私を送った後、ジープニーが見つかっただろうか…。本人も「大丈夫」とは言わず、「分からない」と言っていたのが、気になる…。