SOUTH SEAS VOICE WORKSHOP

都会の狭間に生きる人々の心の糧~街角ジャイポンガン・ステージ

人口900万の大都会、インドネシア・ジャカルタ。華人商人の大富豪から地方出身の貧乏出稼ぎ労働者まで、様々な人間が雑居するコンクリート・ジャングルの狭間にあり、彼らの日々の原動力となっている音楽が、いつもどこかで響いている。

この街の人口の圧倒的多数を占めるのは低所得階層の労働者たち。彼らの多くが好んで聴いている音楽、ダンドゥットは、インドネシアの国民的音楽でもあるが、これと並び、特にスンダ族の人々に愛されているのは、ジャイポンガンである。

薄暗い橙色の外灯が照らす南ジャカルタ、ジャティヌガラ駅の近く。線路沿いに続く通りと交差する高架道の下に、毎晩このジャイポンガンのステージが出現する。木製の簡易ステージの上には、クンダン(太鼓)、ルバッブ(胡弓)、ゴングといった伝統楽器群をバックに民族衣装を着たロンゲン(踊り娘)が7~8名座り、1~2名がかわりばんこに前に出て踊る。両脇のスピーカーからは、大音量のクンダンの「カーンカーン」という音。男たちはこの音に惹かれてステージの下に集まり、可愛いロンゲンにチップを渡しながら一緒に踊るのだ。クンダンの快活なビートにあわせ、うまい男はプンチャック・シラット(インドネシア式空手)のように、手を振りまわす。酒がまわって(モスリムなのに…)ふらふらになりながら踊る老男もいる。

マイク片手のシンデン(歌い手)の女の子にチップの500ルピア紙幣を1枚渡すと、彼女は「素敵なお兄さん、もっとちょうだいよ」と歌を続ける。「つらいなあ」と、つられてもう1枚。さらに「もっと、もっと、素敵なお兄さん」と続き、「困っちゃうなあ」とまた1枚。そうやって貧乏男は、一時の見栄を張りながら踊りを楽しむのである。少し頭の良い男は、シンデンやロンゲンの手を握りながら、ゆっくり、ゆっくり、1枚、1枚、紙幣を渡す。

ちょっと多めのチップで曲をリクエストすることもできる。そして、シンデンは、お客の名前を即興で歌にする。「カリバタ在住の⚪⚪さん、ごきげんいかが?いつも来てくれてありがとう」。楽しみを与えてくれるスポンサー様に感謝!スポンサー様も持ち上げてもらって、気分がいい。しかし、面が割れてしまうと、何度も名前を呼ばれ、その度にまわりの注目を浴びる。こちらも見栄があるから、「はいはい」とお金を渡してしまう。お金がない人は、名前を呼ばれても、手を軽くあげて「あ、どうもどうも…」とごまかそう。

高架下の隙間には浮浪者が住処を構えている。排泄物の悪臭が立ちこめる中、そばの小屋台にはクプクプ・マラム(夜の蝶=売春婦)が客と一緒にじゃれあっている。路を挟んだ向こう側にも、暇な男たちがたむろしながら、ステージを眺めている。
クンダンの音に可愛いロンゲンを見ていれば、時間もあっという間に過ぎ、深夜0時。4時間のお勤め終了後、指名されたロンゲンはこれから「第二のお勤め」があるらしく、男と共に闇に消えて行った。

高架道の下のジャイポンガン・ステージは深夜0時で終わってしまうが、その近くにあるタマン・フィアドゥクト広場前のものは1時頃までやっているはずなので、行ってみることにした。長距離トラックが道沿いに連ねて停まっているこの辺りは、運転手たちの休憩場所となっているらしい。
ジャカルタ市郊外にある芸能の豊富な街、カラワンから来ているというここのジャイポンガン・ステージは、ガムラン(青銅製打楽器)も使った豪華な演奏。特にクンダン奏者の手さばきは絶妙。太めのおばさんシンデンの伸びある声も渋くていい。

演奏される曲がひとたび男たちの心を掴むと、みなステージ前に出てきて踊り始める。けれども、今ひとつ乗れない曲の場合、みな聴いているだけで座ったまま。どの曲も同じように聞こえるが、彼らが乗れる曲と乗れない曲は確かに存在する。考えてみれば、確かに日本や欧米のクラブ・ディスコにもそういうことがあるだろう。乗れる空間を作り出すのは、音楽をかけるDJ、演奏するミュージシャンにかかっているのだ。
ところで、タマン・フィアドゥクト広場には、夜な夜なノンクロン(ぼけっとたむろすること)しに来る人が多い。そして、なぜかオカマがたくさん集まっている。ジャイポンガンの音が、彼ら(彼女ら?)を引き寄せるのだろうか…。

振り返れば1996年の末頃、ここには何もなかった。しかし、ジャイポンガン・ステージが出来て以来、まわりに露店が出始め、今ではほとんど「縁日」の状態。ピサン・ゴレン(バナナ揚げ)の移動式屋台から、靴や鞄を売る露店まで、様々な商売がこのステージと共に生まれた。何もなかったところに、ジャイポンガンのステージが、商いの場を提供したというわけだ。

日を改め、またこの場所を訪れてみた。土曜日だったので観客はとても多かった。始まるずっと前から、ステージの前でしゃがみながら待っている男たちがいる。後方のよくステージが見える位置に飲み物屋台がひとつ、机と椅子を構えているが、そこに座る人はいない。コーラ1本飲みながらくつろぐより、地べたでしゃがんで見るほうがいい。タダだから。
夜9時頃の開演。スロー・テンポにシンデンの渋い声で「ビスミッラー…」と始まる。まずはこのステージを開始するにあたって、神に感謝するのだ。ここで一緒に踊る人はいない。2~3曲演奏した後、段々とテンポの早い曲になってきた。ステージのロンゲンたちも立ち上がり、踊りを始める。そこにプンチャック・シラットの男が登場。大勢の観衆の前で得意気に踊る男に連れられ、他の男たちも立ち上がる。そして、この日もまた深夜1時すぎまでステージは続いた。

ジャイポンガンはもともと「クトゥック・ティル」と呼ばれる、スンダ族の社交ダンスの音楽であった。これが1970年代、同じくスンダ族の音楽家ググム・グンビラによってダイナミックにアレンジされ、「ジャイポンガン」として現代まで広く大衆に浸透した。それはもともと芸術として創られたものだが、都会の街角ジャイポンガン・ステージは、本来の俗的な「クトゥック・ティル」の姿を残したものであるにちがいない。

(1998年 石谷崇史)