2月22日(月)
今日はプノンペンに戻るので、朝、早起きし、準備をする。ゲストハウスのおっちゃんが空港まで送ってくれた。恒例の1ドル。1ドル札というのは本当に役に立つ。日本円にしておよそ140円。今までは、洗濯ものもセコセコ自分で洗っていたが、袋いっぱいの汚れた服の洗濯を、ゲストハウスのおばちゃんが1ドルでやってくれるのならこちらの方がずっといい。自分の洗濯は自分でやる、という躾のようなものが身についてはいたが、考えて見れば、この1ドルでおばちゃんに仕事を与え、生活を助けることになるし、かつ自分もきれいな服で気持ちがいい。安宿の流し台とかで自分で洗うと、すかっときれいにはいかない。自分が楽するということも、この国の人の役にたっているわけである。カンボジアに行くなら1ドル紙幣をいっぱい持っていきたい。
飛行機には行きに乗っていたフランス人観光客もいた。例のプロペラ機に乗るのであった。空調がちゃんとしてないのか、頭上についている空気孔から白い煙が舞い散る。行きに乗ったのと同じ飛行機のようだが、この一機でプノンペン・シェムリアップ間を毎日往復しているのだろう。
さて、プノンペンの空港に着くと、約束していたいつものバイクのおっちゃんが待っていた。1ドルでキャピトル・ホテルを目指す。しかし、本日はキャピトル・ホテル満室。そばのゲストハウスを探すことにした。この付近には他にもゲストハウスが結構ある。そして、決めたのはキャピトルホテルより1ドル安い3ドルのところだった。6人部屋のところに入っていく。
病み上がりの日本人も寝ていた。そこで会った欧米系のおねえさんとしばし会話。英語うまいね、と言われた。ありがとう。で、おねえさんは「なんであなたそんなに綺麗なの」という。「え?」と思ったが、「ふつうここに集まるバックパッカーはもっとボロボロの服を着ている」とのこと。確かに私のスタイルはバックパッカーではない。一応衿付きのシャツで、靴も革靴。リュックサックではなくボストンバッグのようなもの。私の場合は、日本でもどこでもスタイルは同じ。もの凄く汚いところへいっても自分は自分ですからね。
泊まるところはキャピトルでなくても、やっぱり集まるのはキャピトルのレストラン。そこへ行っていつものカンボジア・スープを食べる。そこでドイツ人&日本人の2人組に出会う。ドイツ人の彼は、日本に住んでいて日本語を教えているそうだ。彼らによると、ここプノンペンにはもの凄い規模の売春街があるという。その名も「17ストリート」。名前の由来は分からないが、プノンペン駅の北の向こうの方にあるという。で、そこに行ってみようということになり、少し怖い気がしたが、まだ明るいので連れられるまま出発。
バイクでしばらく走ると、ある長い道に出た。金色のヒラヒラした飾りものを着けた小屋が道の両側に幾つも並んでいる。タイか香港かの古びた芸能人ポスターが貼ってあるのが見える。店の前には椅子が並べられ、女の子たちが白く化粧をしたパジャマ姿で座っている。店の中からベトナム民謡が聞こえてくるので、ここにいるのはどうもベトナム人女性らしい。
バイクを降りて、歩いて行くと、そんな光景が段々と増えてくる。それは「ひぇーーっ」というほど多く、ぱっと見て何百、いや何千という売春婦がたむろしている。途中、国連の車も停まっていた。ここから世界中にエイズが広まっているともいう。ドイツ人の彼は、まわりの女の子に手を取られ、引き込まれそうに。その光景に圧倒され、寒気がしてきた。
少し道から離れて、民家の方に入ってゆく。子供達が元気よくあそんでいた。夜になったら相当いかがわしくなりそうな17ストリートのひとつ裏の通り。ここの子供達はいったいどういう大人になるのだろうか。一緒に歩いていた日本人の彼が、無邪気な子供達と一緒に写真を撮っている。
再び17ストリートに出ると、辺りも薄暗くなってきた。赤いチカチカとしたランプがいかがわしい。ここの女性たちは、貧困のベトナムを離れ、カンボジアでこういう営みに入った。皮肉ながら、カンボジアの政情が不安定であればあるほど、国連の駐在兵士達によって景気がいい。しかし、ここでもかなり安い報酬で働いているようだ。こう同業者がいっぱいいれば、ひとりの収入は必然的に低くなることであろう。哀れなことだが、これもまた現実。あたりをぐるっとまわって、再びバイクタクシーを探して帰る。それにしても、凄い光景で、空しくなった。
その後、ドイツ人&日本人と一緒に夕飯を食べた後、彼らのゲストハウスへ遊びに行く。彼らのゲストハウスの部屋は広く、十数名のドミトリー。居心地はあまりよくないが、庭が広く、そこで夜をリラックスしながら過ごす。