SOUTH SEAS VOICE WORKSHOP

オックンチュラン・カンプチア 8

2月23日(火)
 昨晩はドイツ&日本人連中のゲストハウスで、そのまま寝てしまったので、私のゲストハウスのおばちゃんは心配していたそうだ。ごめんなさい。
 さて、カンボジアに滞在してはや1週間。明日でビザが切れるということで、延長申請にイミグレーションへ行く。そこはいっぱいの人だかりが出来ていた。旅券か何かの申請なのだろう。こういう人だかりに、ひたすら待つのはいやだ。と思ったが、「ビザの延長」の旨言うと、「外国人はこっちだ」と、さっと通された。そして申請。すぐに出来た。料金もドル払いだから早いのだろう。今日から10日間の延長ビザが貰えた。
 さて、バイクのおっちゃんと一緒に周辺の散策。プノンペンの街の人の集まるところは、相変わらずゴミゴミしているが、独立記念塔のところは舗装もきちんとされていて、えらく綺麗。ここだけ見れば本当にカンボジアかと疑ってしまう。けれども、プノンペンはかつて「東洋のパリ」と呼ばれたこともあった。フランス統治時代は多くのフランス人が住んでいたのだろう。けれども、フランス人が住むにはごちゃごちゃすぎる街だ。以前は美しい街だったのかもしれないが、フランス時代の様相を残す建物は、ポルポト時代に破壊されてしまったのだろう。
 途中、英語教室ばかりが集まっている通りがあった。なにやらみんな一生懸命勉強している。今、カンボジアは国連が入っていることもあり、英語ブーム。かつては旧宗主国のフランス語が主要外国語として学ばれていたが、今ではだんぜん英語の方が有益である。ここで教える若い先生はプノンペン大学の学生。先生は大きな声を出して説明し、それを黙ってノートに書きながら勉強。発声練習をしてやらなきゃだめだよ、と思ったが、カンボジア人はおとなしい。教科書は十数年前の古いもののコピー本で、英語は文法がちょっと古い言いまわしのものであったが、これでも充分やっている。いずれにしても、ここでの学生達のやる気だけは充分感じられた。
 ひとコマ授業を終えると、まわってくる袋に受講者がそれぞれお金を入れる。お金のない貧乏な人は黙認される。払わなくてもいいというから大らかだ。気に入った。英語がいまいちよく通じないカンボジアだが、さすが英語教室では話しがはずんだ。明日、彼らがプノンペン大学を案内してくれるという。
 さて、英語教室の授業終了後、受講者のひとりが残って、一生懸命話しかけてくる。私は音楽好きで、カンボジアの音楽が聴きたいと言うと、今晩案内してくれるという。いったんゲストハウスに戻り、シャワーを浴びた後、キャピトルホテルで待ち合わせることにした。自転車でひゅーっと現れた彼とその従兄弟のふたり。自転車の後ろに乗りながら、
行った場所はトンレサップ川のほとりに停泊している船上ナイトクラブ。華人のお金持ちのおっさんたちがいくところなのだろう。
 華やかな照明。私も決してブルジョアでないので、ポッカのピーチジュースを3本。ナイトクラブということで、若い女性たちも集まっていた。お客さんを求めて集まっている女性がほとんどのようであるが。彼女たちの中に若者ふたりの学校の友達がいた。お互い「やばいところを見られた」という感じでなく、普通に喋っていた。
 エコーびんびんの歌を歌うのはベトナム人女性歌手。けれども歌はベトナムの歌ではなく、カンボジア語の歌。中華系の歌のカバーも多い。バンドは結構しっかりしていて、ノレる。踊り場では集まってきた女の子たちが踊っている。アップテンポのビートではノリよく踊り、ゆっくりの曲ではチークを踊る。若者ふたりも踊りたいとのことで、行け!私はそれを眺めながら机に座っている。さっきはとても恥ずかしがっていたふたりだが、踊り始めると激しい!そして、今宵は最高に楽しみ、しめて6ドル。飲んだのは先ほどのジュースだけ。これでもカンボジアのお金にすれば相当のものだが、6ドルでこれだけ楽しんで頂ければ、おごってあげてもかいがあったというもの。帰りはネオンサインがちかちかする夜の街を自転車の後ろに乗せてもらいつつホテルへ。