1999年3月25日(木)
起床は10時過ぎ。シャワーを浴びて、今日は何をするか考える。明日は金曜日なので、マナドへ戻る飛行機が出る。明日でなければ、次は来週の月曜日だ。土曜日にローカル・ロック・バンドのギグがあるというし、それに行きたい気もする。来週月曜日にマナドに戻るとすると、それまで4日ある。そこで、地方の街に行くことを思いついた。イスラムの地域に行ってみたいのだが、危ないそうなので、南部のジェネラル・サントスあたりがいいか…。ホテルのおっちゃんに聞いてみると、ジェネラル・サントスならば安全だという。
早速チェックアウト。マグサイサイ通りの西端のところでエコランド・バスターミナル行きのジープニーに乗る。2.5ペソ。ジープニーにはだいぶ慣れてきた。運転手から遠い位置に座ったので、フィリピン人と同様「バヤド」と言い、隣りの人にお金を渡す。そして、人伝いに運転手までお金が届けられる。隣りの人はバクラだった。バクラとは、ババエ(女)とララキ(男)を足した「オカマ」である。フィリピンにはバクラがとても多く、それなりに社会的地位があるらしい。けれども、バクラと呼んではいけない。呼ぶ時はやはり「お姉さん」等の方が嬉しいらしい。
途中、交差点で交通整理をしているおまわりさん(?)がいた。まるでダンスをしているかのような動きで手を振り回している。ジープニーの客からも笑みがこぼれた。しばらく走り、エコランド・バスターミナルに到着。たくさんのバスがクラクションを鳴らしながら客引きをしている。コタバト行きのバスが目につく。コタバトはイスラム地域だ。結構多くある。これに乗っていきたいなあという気分。だが、当初決めたジェネラル・サントス行きのバスを探す。
そこで、忘れ物に気がついた。そういえば、ホテルで洗濯したシャツを部屋に干したままであった。気に入っていたシャツだったし、そのシャツが無ければ換えもない。急いでギンギンに連絡しようと公衆電話を探すが見つからない。しばらく探すと、見覚えのある風景。そこは昨日、バンドの練習を見たスタジオであった。バスターミナルのすぐ近くだったのだ。そこで電話を借りようかとも思ったが、それもなんだか恥ずかしいので、昨日乗った場所からジープニーでマグサイサイへ戻る。が、行き先を間違えたらしく、違うところへ行ってしまった。途中、マグサイサイ・パークを見かけた。マグサイサイ・パークといえば、マグサイサイ通りの東端。フォーチュン・インはマグサイサイの西端に近いはずなので、そこを通りそうなジープニーを探し、再び乗ってホテルへ戻る。約1時間のホテル・ターミナル往復であった。
フロントでおっちゃんが、「これだろ」と私のシャツを渡してくれた。私はおっちゃんにコタバト行きのバスがいっぱいあった旨を話し、もう一度「コタバトはどう?」と聞いて見ると、「実際はまあ、それほど危ないというわけではないよ。夜歩かなければ大丈夫。」とのこと。その一言が聞きたかった。危ないかもしれないが、行けば必ずやられるというわけではないだろう。しかし、まわりが皆、危ないと言うならば、それを振りきって行く理由もない。しかし、おっちゃんの一言で行く勇気が出た。コタバトへ行きに変更!
再度、バス・ターミナルへ向かう前に昼食。もう12時を過ぎていた。ビュッフェ形式の食堂を「トロトロ(指さすこと)」というが、そこで魚と豚肉の煮物を食べる。魚ときゅうりと苦瓜が一緒に和えられた酸っぱい煮物がとても美味しい。ごはんをおかわりしてしまった。「ごちそうさま」と店を出ようとしたところで、美味しそうな肉まんに捕まった。フィリピンでは「シオパオ」という。「焼包」ということだろうか。即購入。
再びターミナル。色々なバスが並んでいるが、遠出でもあるし、エアコン・バスを探した。と、ちょうどいいタイミングでコタバト行きの「ファーストクラス」と書いてあるバス「WEENA EXPRESS」が入ってきた。早速乗りこみ、客がいっぱいになったところで出発。午後1時過ぎであった。
地図を見ると、コタバトは、ダバオから山を越えた西側の海岸の街である。険しい道かと思ったが、実際、バスは海岸を迂回して走っているようであった。ダバオのごみごみとした街を離れると、段々と田園風景になってくる。海や山も美しい。8つほどの街を経由してゆくが、途中雨が降った。エアコンのバスは快適だ。外の空気はムンムンとしていただろう。
コタバトに着いたのは夜7時前。実に6時間という道程であったが、風景を見ているだけで退屈しなかった。7時だというのに店は閉まり、人気も少なかった。小雨が降る中、感を便りに歩くと、広場に出た。CITIPLAZA HOTELという宿がある。向こうの方にもホテル・フィリピンというのがあるが、薄汚れた感じだ。今日は比較的いいホテルに泊まろうと心に決めていたので、CITIPLAZA HOTELに決定。スタンダードはいっぱいで、デラックスしかなかったが、525ペソと、まあまあの料金だったので、オーケーとした。
「マイネーム・イズ・ロジャース。どうぞ宜しく!」と、元気のいいホテルの兄貴。ロジャースは遠くルソン島のバギオ近くの出身で、お姉さんがコタバトの人と結婚したので、ここに住んでいるのだという。そして、このホテルに1970年から勤めているというおじさん、イロイロ出身のミスター・カルロスも良さそうな人だ。
夕飯をまだ食べてないので、外に出て食堂を探すが、いいところが見つからない。しょうがないので、売店でジュースを買い、ホテルに戻り、出前を頼む。タガログ語のメニューは良く分からないが、ロジャースに聞くと「キニラウ」という魚料理が美味しいらしい。それと、ごはん。ちょっとお腹が空いていたので2つ。これだけで、だいたい80ペソ。出前はミニマム100ペソでないといけないらしく、もう一品。カンビンなんとか…というものがある。「カンビン」とは山羊のことだ。インドネシア語と同じだ。これにしよう。
部屋でしばらく待っていると、出前到着。開けてみると、キニラウはマグロの刺身の角切りで、白い酸っぱいソースであえてある。生姜やカラマンシもまぶしてある。そしてもうひとつ、カンビンなんとか、というものを開けてみると、なんとそれは、キニラウに焼いた山羊肉が少し混ざっているものであった。刺身ばかり食べてもねえ…ロジャース君、教えてちょうだいよ!
スプーンとフォークも2セットついていたので、出前の人もきっと2人で食べるものだと思ったに違いない。お腹はペコペコだったが、1セットだけ食べてお腹いっぱい。もうひとつは明日の朝にしよう。エアコンをガンガンにかけておけば大丈夫だろう。
今日の部屋はテレビがついている。それもケーブル・テレビらしく、色々なチャンネルがある。インドネシアや中国のテレビも映る。ベッドに横になり、テレビを見ていると、眠くなってきた。長いバスの旅で少々疲れたし、早めに寝よう。と思う前に、すでに寝ていた。電気つけっぱなしで。