1999年3月26日(金)
7時頃だろうか。上や隣りの部屋、廊下を歩く人の足音がうるさくて目が覚めてしまった。が、こんなに早く起きて街を散策しようという気分でもなかったので、テレビをつけ、しばらくぼけっとしていた。CNNがユーゴスラビア情勢をしきりに伝えている。RCTIの「INDONESIA TODAY」を見ていると、日本政府援助の署名式のニュースで川上駐インドネシア大使が映った。館員の八山さんの姿もあった。私も半年ほど前、大使館勤めの時は、まさにこれと同じことをやっていたわけだが、フィリピンのこんな奥地で見るとは…。
テレビを見ながら部屋で原稿書き。ただただ旅行者をしているだけではダメだ。私はライターなのだから、少しくらいは仕事をしなければ…。と思いつつ、この日記を書いている。お昼を過ぎ、そろそろ出かけようと準備し、外に出ると、同時にポツ、ポツと来た。雨だ。こんなことなら、午前中街をまわるんだった…。雨は一気に大粒になってきた。すぐそばのAL BASHIRという床屋へ入り、雨が降っている間、髪の毛を切ってもらうことにした。言葉はよく通じないが、とりあえず「カット」と。どのようになるのかは後のお楽しみ。私はこの方法で結構失敗しているが、その国では良いものなのだろうから、まあ、どうなっても良しとしよう。15分ほどでカット終了。前髪がおかっぱ風。うーむ…。まあ、30ペソ(およそ100円)で髪の毛が短くなるのだから、よしとするか。
雨は強くなる一方で、まだ外を歩く状態ではない。すぐ前のJolibeeというファスト・フードに入り、ハンバーガーとコーラのセットを頼む。ここのカウンターのメニュー表示は、「WITH PORK」と「WITHOUT PORK」に分かれていた。頭に被りものをした女性もいる。外の看板には、アラビア文字が書かれており、すぐそこの食堂には「HALAL(イスラム食)」と書かれている。
しばらくJolibeeにいるが、雨はなかなか止まない。ただただ待っているのも時間がもったいないので、少しだけ濡れながらホテルに戻り、部屋で再び原稿書き。ジトジトした空気の中中、エアコンの部屋はとてもいい。ここの部屋には窓がないので、時折外に出て雨が止んだかどうか見に行くが、雨は一向に止まない。このまま行けば夕方になってしまい、何も見ることができない。3時頃、小雨になったところで出発。
コタバトの街の地図がないので何の宛てもないが、適当に歩いていると川があった。東南アジア特有の茶色い川。川岸の水の上に小屋を建て、生活している人もいる。川沿いの道に連なる商店では、魚や果物を売っている。しばらく行くと交差点に出た。まわりは市場となっていて、ゴチャゴチャ状態。向こうにモスクが見える。インドネシアの市場にも似たような光景。路肩の「NENENG’S CAFETERIA」という店先にパンが並べられていて、とても美味しそうだった。漂ってくるコーヒーの香りに誘われるまま、その店に入る。私はコーヒーを飲むとお腹を下す傾向にあるが、いい香りだったので、思い切ってコーヒー、そして、パンを頼む。
「コーヒーはネイティヴあるいはネスカフェ?」
東南アジアではローカルものよりもネスカフェの方が高級なものとされていることが多いが、ここまで来てネスカフェを飲むわけはなく、ネイティヴを注文。裏の方で作っているパンは、とても柔らかくて美味しい。
「あなた、どこから来たの?」
「日本人です。ジャカルタに住んでいるんですけど…」
「へえ、チャイニーズだと思った。」
と、隣りのおじさんが言う。
「ひとりで来たのかい?」
「はい。」
「そりゃあ、勇気あるねえ。この街は危ないから気をつけなよ。」
ダバオのみんなが言っていたように、やはり、ここは危ないのだろうか…。話によれば、ここの市場では毎月何かしら殺人事件があるという。フィリピンの街は、どこでも落ち着かないところはある。それは、行く店、行く店、どこにも銃を持ったガードマンがいるからだ。そして、コタバトにはそのガードマンの数が、他よりも多いように感じるのは気のせいだろうか。ピストルやライフルが自由に購入できる状況下にあれば、犯罪も避けられないのかもしれない。
さらに街を散策。橋のそばで子供達が遊んでいた。元気にはしゃぐ子供の笑顔はどこも同じだ。先ほど、市場で沢山の魚を売っていたのを見たので、魚が食べたくなった。これだけいっぱい魚があるのだから、魚料理を出す食堂ぐらいあってもいいはずだ、と、探しまわるが、なかなか見つからない。途中、それっぽいところがあった。鍋が並んでいたので、ひとつひとつ蓋を開けてみると、それぞれスープであった。牛の内臓入りのパパイッ(Papait)というスープが美味しそう。この食堂には魚もあったが、見た目、美味しそうでなかったので、パス。魚料理探しはやめ、スープ料理を食べることにした。インドネシアのスラウェシ島、ウジュンパンダンの料理、チョト・マカッサルにも良く似た料理で、カラマンシを絞って入れ、食べる。塩と味の素がとても効いていた。
辺りが段々と暗くなってきた。暗い街を歩くのはやめた方がよさそうだったので、映画でも見ることにしよう。カメラなどの入ったリュックを一旦ホテルの部屋に置き、再び外へ。昨日、バスを降りて歩いてきた道沿いに,映画館が3つ並んでいた。ひとつは欧米もの、あとふたつはフィリピンもので、うちひとつは成人向けらしい。しかし、映画館はすでに閉まっていた。仕方ないので、そばにあるC&D RESTというビュッフェ形式のレストランに入り、夕食。魚のから揚げ、ごはんとロイヤル・オレンジ・ドリンクを注文。店内が暗くて、良く見えないが、ここのレストランでは、若者のバンドが演奏しており、ビールだけ注文してバンドを見ている人が目立つ。メニューを見ると、ソフト・ドリンクもビールも同じ値段であった。バンドが奏でるのは、ひたすら欧米のヒットナンバー。タガログ語のものはなし。しかし、暗くてよく見えず、食べにくい。味は可もなく不可もなく…。
食後、ホテルに戻るのにも早すぎるので、昼間に行ったJolibeeへ行き、そこで原稿書き。店のガラスの向こうでは、お腹を空かせた子供達が窓にへばりついていて、中で食べている人に「ちょーだい」をしている。中の人はひたすら無視…。
Jolibeeは夜10時までだが、9時半にもなると、客はほとんどいなくなる。店の人が音楽にあわせ、軽く踊っている。やはり陽気なラテンの血が混ざっているからだろうか…。
ホテルに戻ると、夜当番のロジャースとカルロス氏が待っていた。12時過ぎまでお喋りタイム。日本人の旅行者は初めてらしい。市場で魚をたくさん見て、食べたくなったと話すと、ロジャースが「ちょっと待ってて…」と外に出ていった。しばらくすると、焼き魚を買って戻って来た。マグロだ。肉を手でむしり取り、ココナッツ入りのタレをつけながら食べる。私はタレなしでも美味しいと思った。
寝る前、ロジャースがギター片手に1曲披露してくれた。タガログ語の歌で、再会を願いつつ…。彼らとは次、いつ会えるだろうか。いや、たぶんもう会うことはないのだろう。今、この瞬間の存在が、とても不思議に思えた夜だった。