SOUTH SEAS VOICE WORKSHOP

オックンチュラン・カンプチア 2

2月17日(水)
 バンコクの交通渋滞はとてもひどい。昨日、バスの上にいた時間を総計したら、6時間にもなってしまう。どこへ行くにも、ちょとバスに乗っただけであっという間に時間が過ぎてしまうので、朝9時55分の飛行機に間に合うか不安であった。というわけで、5時に目覚ましをかけておいたのだった。まだ暗いうちに泊まっていた友達の家を出発。街はすでに動き出していた。渋滞に巻き込まれる前に出発しようという人もかなりいるらしい。
 飛行場には8時前に着いた。どうも昨日からお腹を壊していてつらい。気分はそれほど悪くないが、トイレに何度か行く。そういえば、昨日食べた蟹はアンモニア臭が漂っていたような気がする。これが原因だろうか…。
 定刻通り出発したカンプチア航空SK114便に乗って、カンボジアの首都プノンペンを目指す。ボーイング737なので快適。以前乗ったベトナム航空のロシア製イリューシンとかよりずっといい。
 さあっと50分ほどでプノンペンに到着。空港の入管前のところで直接ビザをとって入る。バンコクでの事前取得は必要ない。料金は20ドルあるいは600バーツ。カオサン・ロードの旅行社曰く、2週間のビザ取得オーケーだったのが、1週間しかダメとのこと。あとはイミグレーション・オフィスへ行って延長しろという。仕方ないのでそうすることにする。
 空港を出ると、東南アジアではよく出くわすタクシー運ちゃんの勧誘。カンボジアについては全く知識がなかったので、市街地までの料金相場も分からない。おまけにカンボジアのお金もないし、通貨単位が何であるかさえ分からない。とりあえずタイ・バーツを持っていたので、これで払うことにした。250バーツと言われた。高いか安いか分からなかったが、とりあえず安くしてくれと交渉し、200バーツになった。本当は200バーツでも高かったのだろうが、ちゃんとした許可証を持ったタクシーの運ちゃんなのでまあいいとするか…。
 英語もわりとうまいので最近の情勢のことを色々話しつつ、行き先はとりあえず安宿。本当に何も分からなかったので、連れて行かれるまま約30分。到着したのは、キャピトル・ホテルという、ゲスト・ハウスであった。ここがプノンペンにおけるバック・パッカーの溜まり場らしい。小太りのおじさんが迎えてくれ、3人部屋のドミトリーに連れて行かれた。気を利かせくれたのか、日本人との相部屋に入れてくれた。1泊4ドル。
 東京では仕事が忙しかったので、久しぶりの「旅行」気分である。早速街を歩くことにした。プノンペンに着き、というかどこでもだが、やっぱり最大の目的は音楽カセットである。キャピトル・ホテルのすぐそばにカセット屋台があった。流れてくる音楽は、結構ポップで、インドネシアのダンドゥットとタイのモーラムを足して2で割ったようなサウンド。ヴォーカルにエコーがビンビンにかかっていて、何とない暑さを催す。売られているカセットをよく見てみると、CDからダビングしたもので、インデックスは写真で複写。CDも売っていてるが、これは「MADE IN USA」と書いてある。むこうで作っているものらしい。
 そういえば、私はカンボジアのお金を持っていないのであった。キャピトル・ホテルの1階部分はレストランというか食堂になっていて、そこで両替ができる。一応ブラック・マーケットになるのかもしれないが、カンボジアでは自由に両替商が出来るらしい。ということはブラックではないのか。ここで500バーツを交換した。1バーツは91リエル。ちなみに1ドルだと2459リエルだった。
 リエルをいっぱい抱えて街の中央にあるセントラル・マーケットに向かうが、どこもドルで値段を言ってくる。リエルしか無い!というと、ドルの値段をリエルに換算する。しょうがないねえ。カンボジア・リエルは信頼度が低いのだった。
 さて、私はかつてから街の音を録音するのが好きで、録音機材を持ってきていた。が、仕方ないことにマイクのコードを日本に忘れてきたので、まずはそれを探し歩いた。あるわけがない(?)ような特殊なコードなので見つからない。ということで、自作することにし、材料を探すことにした。モノラル標準ジャックのソケットと、ステレオ・ミニ・ジャックで、11000リエル。だいたいこんなもんだろうと思ったので、それで買うことにしようと思ったが、ちょっとまった。やっぱり、10800リエルにまけてもらおう。で、残りの200リエルを物乞いの女の子、男の子に100ずつあげた。本当は子供はちゃんと勉強して働きなさい!ということで、いつもはあげないのだが、その子は執念深く、随分と長くついてきたので、負けてしまったのであった。
 買い揃えた材料を電気修理屋らしきところへ持っていき、回路を説明して半田付けしてもらった。そんなに難しくはないのだが、言葉が通じないので最初は苦労。けれど電気屋のおっちゃんも一生懸命やってくれ、マイク・コードは完成したのであった。
 さて、街を色々とまわって宿に戻る。ちょっと街をまわっただけで、身体じゅうが埃まみれになる。一応舗装はされているが、道路は穴だらけで、土埃が舞い上がっているのであった。シャワーを浴びることにしたが、水も薄いが茶色く濁っている。それに時々ゴミも出てくる。まあ、安宿だし、贅沢は言えないのだが。
 夜6時頃からカンボジアのラジオを録音することにする。カンボジア語とフランス語のFM局が1局ずつ。あとAMにカンボジア語局が1局。テレビ放送もあるようだが、街でテレビを見かけることは少なく、何をやっているのだろうか。大きなパラボラ・アンテナをたてている家もある。
 相部屋の日本人2人も帰ってきた。ひとりは腰巻き姿の女性。もうひとりは学生のお兄ちゃん。ごっちゃごっちゃな街、プノンペンで出会う日本人はみな個性があって面白い。日本ではなかなかない「出会い」がここから始まる。
 7時半頃、一緒に下の食堂に降りていって、食事をする。相変わらずお腹の調子は良くないが、食欲はある。正露丸を飲んでから食事。カンボジア・ビーフ・スープ「サムロー(だったかな)」を注文。これがとても美味しいので、ごはんを2杯もおかわりしてしまった。色はカレーの色だが、辛くないし、コクがあって美味。ピーマンが入っていて栄養もありそう。酸っぱい味のする何かの種も入っている。これはいける。やみつきになりそう。
 さて、夜10時。そろそろ眠たくなってきた。レストランも9時半で終わり、と書いてある。レストランは自家発電なのでまわりはうるさい。時々停電したりもするが、なんとなく、大学時代、文化祭で露天屋台を開いた時の雰囲気に似ている。
 というわけで、今晩はこれで寝ることにする。蚊帳を吊って寝るので、昔沖縄にいた頃を少し想い出す。