SOUTH SEAS VOICE WORKSHOP

オックンチュラン・カンプチア 14

3月1日(月)
朝、まだ調子は良くなっていない。けれども今日は絶対にプノンペンに行かなくてはならない。まだ熱もありそうだが、思い切って出発の決心。朝から相変わらずトイレに通う。けれども、とにかくお腹のものを出し切り、水も飲まないようにする。そうしなければ道中もたない。
ふらふら状態のまま、荷物をまとめ、ホテルのおばちゃん、おじいちゃんに、ありがとうを言い、いざ出発。行きは11時間かけて汽車で来たが、実は車で行くと6時間ほどで行ってしまうらしい。ということは、あの汽車は相当遅かったということが分かる。ただしお金の方は10倍以上の6ドルだという。貧乏旅行者の私には結構つらい。
市場から出発するらしく、ホテルの兄ちゃんにバイクで連れて行ってもらった。市場ではタクシーがいくつかプノンペン行きの乗客を探していた。ふらふらな私に声をかけてきたお兄ちゃんの車に乗る。早く出発して欲しいが、他の客が車でしばし待つ。暑い。エアコンなんてものはもちろん着いていない。後部席でしばしふにゃーっと横たわっていると、30分ほど待ってとりあえず出発。他の客は誰も見つからなかったらしい。しばらく走っている運転手が「12ドルだ」などと行ってくる。まったく、こっちは病人だというのに、こんな時に変なこと行って来るんじゃないよ!しかし、いきなり倍の12ドルだなんて、簡単にはオーケーは出せない。6ドルで行かないのなら、市場に戻れと叫ぶ。けれども、かなり街から離れたところだったので、ここまで来てまた戻るのも本音としてはきつい。けれども、やはり貧乏旅行者。12ドルだなんて絶対に応じられない。「早く戻れ!」と精一杯の抵抗をする。そうすると「分かった、分かった」といって運転を続ける。本当に分かったのか少し心配だが、車は別の拠点のようなところへ行って客を探す。しばらく探し、やっとひとり乗ってきた。本当はもっと客を増やしたいようだったが、私は「病気なんだから早く行け!」と脅迫(!)。3人で出発となった。
この数日間、ろくなものを食べてないので本当にふらふら。暑い車の中でぐったりしながらプノンペンを目指す。思いっきり汗をかきつつ喉が乾く。けれども水を一気に飲むとトイレがやばい。一応ボトル一本用意し、喉の乾きの限界に近いところでちびちびと飲む。そうすればお腹まで水は行かないだろう。
お昼。車を止めて休憩。運ちゃんともうひとりの客は食堂で食事。私はとりあえずトイレに行く。そして車に戻りぐったり。「暑いねえ。氷でも食べようか!」などと無神経に(そんなものあるのか)私を呼ぶが、そんなこと出来るわけがない。
途中、ところどころでプノンペンまでの通り道の街を目指す客を見つけて乗せる。途中乗車、途中下車の料金はどうやってするのだろうか。プノンペンを目指すもうひとりの客もそうだが、私の払う6ドル(のはず)なんかよりもはるかに安いに違いないと疑ってしまう。
行きの汽車では、街々よりも野原や禿げ山ばかりを見ていたが、車で行く道は街をいっぱい経由して行くので面白い。けれども、広い乾涸らびた道を行くところどころで銃を構えた怖そうな兵士が立っていて、尋問されると緊張する。というのも、こういった尋問で金を要求されたという噂も聞いていたからである。それにNGOの中田さんが殺害されたのも、こういうパターンではなかったか。ポルポト派兵士だったらどうしよう。兵士がこちらを覗くと、「日本人よ」とにこっと笑い、何もなく無事パス。
暑い道程がずっと続くが、日が傾き始めた頃、プノンペンの街が見えてきた。「あー、トイレの問題もなく着くことができた。けれどもきつかった」という気持ち。そして、ぷよく分からない通りで車から降ろされた。約束通り6ドルを払うが、足りないと文句を言われる。「このくそー!」といいたいところだったが、すでにそんな気力もなく8ドルくらい払った(ような気がする)。
まわりのバイクのおっちゃんたちが私を囲む。キャピトル・レストランまで行け、とふらふらのまま乗っていった。そして、いちばん最初に泊まった3人部屋のドミトリーに着く。まずはトイレに行き、汗だくだく状態なのでシャワーを浴びる。そして、ベッドに倒れる。その時他の相部屋客は来ていなかったが、しばらく休んでいるとひとり帰ってきた。数日前に売春通りを一緒に探索した日本在住のドイツ人である。なんか、とても久しぶりに感じてしまう。彼はこの数日間アンコールに行っていたのだそうだ。私はもうぐったり横になっていたが、彼は「病気の時はとにかく水とバナナだよ」と言っていた。まさにそれで耐えてきたわけだが、薬は地元のでなければ効かないと、彼も言う。
もう夜。プノンペンに戻ってきて安心したのか、お腹が空いてきた。ここならばトイレも近くにあるし大丈夫だろうと、いつもの大好きなカンボジア・スープを食べに、下のレストランへ彼と一緒に降りていった。そこにはいつものバイクのおっちゃんがいた。「明日帰るから」と空港までの送迎をいつもの1ドルでお願いした。おっちゃんとはすっかり親しくなったが、また来てくれと言われた。次はいつ来れるかな。